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【インタビュー】布施砂丘彦


布施砂丘彦による、ウィーン式ヴィオローネについてのセルフインタビューです。

布施砂丘彦「皆さん、こんにちは。ミヒャエル・ハイドン・プロジェクト主宰の布施砂丘彦です。本日は、#04 ミヒャエル・ハイドンの後任者『ディッタースドルフの弦楽作品』そして#05 ナチュラルホルンの宇宙技芸『ホルンと弦楽のディヴェルティメント』でも活躍するウィーン調弦、あるいはウィーン式ヴィオローネについて、お話していきたいと思います。シリーズとして体裁を合わせるためにインタビューとしているのですが、つまりセルフインタビューです。よろしくお願いいたします。」


——さて、今回、多くの方が(有名な演奏者さんはたくさんいるけれど、どの回にも出てくる布施砂丘彦って誰だ・・・)と思ったでしょう。謎の主宰?布施のプロフィールをざっと下に書きます。


東京藝術大学卒業、桐朋オーケストラ・アカデミー研修課程修了。コントラバス奏者としてプロオーケストラへの首席客演や、古楽器の演奏と研究、新曲初演などを行うほか、コンサートやテレビ番組の企画制作や執筆など、その活動は多岐に渡る。ピリオド楽器奏者として「アントネッロ」「バッハ・コレギウム・ジャパン」などの公演に出演。時評「音楽の態度」で第7回柴田南雄音楽評論賞奨励賞受賞。日本音楽学会会員。「オルケストル・アヴァン=ギャルド」コントラバス奏者。


Q. ヴィオローネって何ですか?


——コントラバスとヴィオローネというふたつの言葉があります。このヴィオローネという楽器はどのような楽器ですか?コントラバスとはどのように異なる楽器なのでしょうか?


 非常に難しい質問ですね。なぜなら、ヴィオローネという言葉が示すものは、時代や地域によって異なり、あるときはコントラバスと同意義で、あるときはコントラバスとはまったく異なる楽器だったりするからです。あるいは、何か特定の楽器ではなく、もっと大きな意味を持つ場合もあります。


 まず、コントラバスについて説明しましょう。現代の一般的なコントラバスは、4本の弦が四度の間隔で張られている楽器です。上からG D A Eという調弦で、すべてが同じ四度という間隔のため、調性が変わったとしても指使いが変わることはありません。つまり、真隣の音は常に四度低いor高い音となり、たとえば↑属音↓属音↗︎根音(↑ソ↓ソ↗︎ド)というようなカデンツは常に4-1-1という指使いで演奏することができます。

 また、現在一般に使われているコントラバスのなかには、最低弦のE線が延長されてCまで出すことができる「エクステンション/Cマシーン」の付いた楽器や、E線より低い5弦目を持つ楽器もあります。

 さて、「コントラバス」はもともと音域を表す言葉で、低音を表す「バス bass」よりさらに低いことを示します。例えば一般的なクラリネットのオクターブ下の音域を持つ楽器に「バスクラリネット」がありますが、さらにオクターブ下の楽器は「コントラバスクラリネット」と呼ばれます。同じく「コントラバスフルート」は「バスフルート」よりオクターブ低く、「コントラファゴット」は「ファゴット」よりオクターブ低い音域を持っています。また、「コントラバス」は英語で「double bass」とも呼ばれますが、この「double」もオクターブ低いこと(=音の振幅が2倍になる)ことを示します。

 ですので、「コントラバス」という言葉はいわば形容詞で、そのなかに「弦楽器」を示す言葉は入っていないのです。


 一方で「ヴィオローネ」という言葉は、「アルトフルート」や「コントラファゴット」と同じく、サイズや音域を示す形容詞と楽器の種類を示す名詞が合わさっている言葉です。弓で弦を擦って音を出す楽器「撥弦楽器」を示す「viol / viola」という言葉に、「大きな」という意味の接尾辞「one」が付いています。すなわち、「大きな撥弦楽器」という意味です。だから、コントラバスもヴィオローネの一種ということができるでしょう。因みに、この「viola」という言葉に「小さな」という意味の接尾辞「ine」が付くと、「violine」すなわち「ヴァイオリン」となります。同じように、ラッパ属「tromba」に「one」が付くと「trombone トロンボーン」になりますね。

 さて、古楽にお詳しいかたなどがヴィオローネと聞いて想像するのはこの絵のような楽器でしょう。チェロよりは大きいがコントラバスよりは小さく、多弦で、フレットが付いている弦楽器です。このような楽器は弦が5、6本で、大きな「Dヴィオローネ」と呼ばれる楽器はバスのヴィオラ・ダ・ガンバのオクターブ下(上からD A E C G D)、ひとつ小さな「Gヴィオローネ」という楽器はテナー・ガンバのオクターブ下(上からG D A F C G)という調弦です。Gヴィオローネは、上の3本の弦が現代のコントラバスのオクターブ上であるため、コントラバス奏者による持ち替えが比較的安易です。J.S.バッハの《ブランデンブルク協奏曲第6番》のヴィオローネパートはこの楽器で演奏されることも多いですね。


 ちなみに次の写真でわたしが左手に持っている右側の楽器は「Aヴィオローネ」で、先ほどの「Gヴィオローネ」より全音高い調弦となります。ほとんどヴィオラ・ダ・ガンバに見えますね。ヴィオローネとしては非常に小ぶりで、弦長は80cmです。現代の一般的なコントラバスは弦長がだいたい100-115cmくらい、バスのガンバが70cmほどなので、サイズ感もほとんどガンバに近いですね。

コントラバス/16フィートのヴィオローネ(左)と8フィートのAヴィオローネ(右)


 それから、バロック時代にヴィオローネという楽器を演奏する際に見る楽譜のパートの名前は、必ずしも「ヴィオローネ」ではありません。

 多くの場合「バッソ・コンティニュオ」すなわち通奏低音のパートです。

 また、楽譜に「ヴィオローネ」と書かれていても、それが常にヴィオローネという楽器を示すわけというではなく、低音のバス、すなわちヴィオローネもコントラバスもチェロもガンバも総動員するときもあれば、あるときはチェロだけで演奏された、つまり「ヴィオローネ」を用いなかった、という可能性もあります。ややこしいですね。


 さて、古典派の時代になると、ヴィオローネがバスのパートだけではなく、ソロを演奏する固有のパートを多く持つようになります。もちろんバロック時代も皆無だったわけではなく、ディートリヒ・ブクステフーデ(1637?-1707)は《ヴィオラ・ダ・ガンバとヴィオローネのためのソナタ》を書いていたりしますが、それは一般的なものではありませんでした。しかし、ウィーン周辺の、1760年代から1790年代にかけての二十数年間で、協奏曲のソロや室内楽のパートに「violone」が頻出するのです。このヴィオローネが、今回わたしも演奏する「ウィーン式ヴィオローネ」です。



Q. ウィーン式ヴィオローネあるいはウィーン調弦とは?


——ウィーン式ヴィオローネっていうのは、なんですか?


 ウィーン式ヴィオローネ(Viennese Violone)というのは、「ウィーン調弦」という特殊な調弦をしたコントラバスのことです。楽器のハコ自体は現代のコントラバスと大きく変わりません。と言いますか、18世紀に「ウィーン式ヴィオローネ」として使われていた楽器は、現在でもウィーンを中心に世界中のオーケストラなどで使用されています。日本で見かけることも珍しくありません。

 楽器の特徴は、弦が5本張られていること、ギターやガンバのようにフレットが付いていること、独特な形をしたヘッド、ガンバのようなシェイプ、それから縦長でなで肩のフォルムをしていることなどです。

 しかし、なんといっても最大の特徴はその調弦にあります。先ほど申し上げた通り現代の一般的なコントラバスは全てが完全四度の間隔となっていますが、ウィーン調弦はそれぞれの弦の間隔が均等ではありません。ベートーヴェンの師匠であるアルブレヒツベルガーが1790年に本に書いていた本によれば、その調弦はA F# D A F♮です。ファのシャープとナチュラルが混在していることが特徴的ですね。

 ただし、ひとくちにウィーン調弦と言ってもさまざまな調弦方法があり、例えば初期の1677年には作曲家のヨハン・ヤーコプ・プリナーはB F# D A F♮だと書いています。また、最低弦に関しては一定ではなく、ディッタースドルフやミヒャエル・ハイドンの作品にはFより低いDが登場することから、その場合は上からA F# D A Dという調弦だったと推測することができます。こうすると、上から下に行くにつれて、弦と弦の幅が短3度⇨長3度⇨4度⇨5度と、徐々に広がっていくことが分かります。すなわち、振動数が6:5:4:3:2と整数の比率で並んでいるのです。

 それはさておき、ウィーン調弦の魅力はどれでも真横にバッと3つの弦を押さえると、それが必ず和音になることです。だから、この調弦の作品は、重音や和音をふんだんに使って作られていることがとても多いのです。

 それは魅力でもありますが、同時に弱点でもあります。つまり、ウィーン調弦ではほとんどニ長調かそれに近い調しか弾くことができないのです。今回演奏する2曲はニ長調より半音高い変ホ長調ですが、これらはすべての弦を半音ずつ高くした調弦 B♭ G E♭ B♭ E♭で演奏されました。






現代の一般的なコントラバスの開放弦





ウィーン式ヴィオローネ(ウィーン調弦)の開放弦。最低弦はDになることも


↓↓実演を交えた解説↓↓


——当時、ウィーン式ヴィオローネの名手などがいたのでしょうか。


 はい。もっとも有名なのは、ヨハネス・マティアス・シュペルガー(1750-1812)です。楽器の特性を誰よりも知っていたシュペルガーは、協奏曲や室内楽曲など非常に多くの作品を残しました。現在でもコントラバス奏者のなかではよく知られています。南部モラヴィア(チェコ)の出身で、プレスブルク(現スロヴァキアのブラチスラヴァ)で宮廷楽師を務めるかたわら、ウィーンをはじめとしてヨーロッパ中で演奏を披露しました。

 それから、シュペルガーの師匠であるフリードリヒ・ピシェルベルガー(1741-1813)も重要人物です。グロースヴァルダインの宮廷で働いていた彼のために、同僚のディッタースドルフとピフル(ピッヒル)が協奏曲を書いたと言われています。その後ウィーンに移り住んで、モーツァルトとも交流がありました。

 もうひとり、忘れはいけないのがヨーゼフ・ケンプファー(1735-1788)です。プレスブルク出身で、元はハンガリー陸軍の騎兵将校でした。ヨーゼフ・ハイドンと同じ頃にエステルハージ家に雇われていたと考えてられています。また、1774年頃にはザルツブルクの宮廷にいて、モーツァルトやミヒャエル・ハイドンと出会っていたようで、翌年のレオポルト・モーツァルトの手紙にその名が登場します。彼が使っていた「ゴリアテ」というコントラバスは特大サイズで、26個のネジを使って組み立てるといういわゆる「トラベル・ベース」だったようです。サンクトペテルブルグでヨーゼフ・ハイドンやヴァンハルの協奏曲を演奏したという記録も残っています。自身もいくつかの協奏曲や室内楽作品を書いたようですが、残念ながら現在ではそのすべてが失われています。


——何人か他の作曲家の名前も登場しましたが、ウィーン調弦にはどのようなレパートリーがあるのでしょうか。


 本当に多くの作品があります。代表的なものを紹介しましょう。

 まずは、ミヒャエル・ハイドンの兄、有名なヨーゼフ・ハイドンです。彼の交響曲では、《第6番『朝』》《第7番『昼』》《第8番『夕』》《第31番『ホルン信号』》《第45番『告別』》《第72番》などでコントラバス(ウィーン式ヴィオローネ)のソロが登場します。また、1763頃にはなんと《コントラバス協奏曲》も書いています。しかし、残念ながら楽譜は残されておらず、現在では作品目録に記された最初の2小節しか知ることができないのです。

 あのアマデウス・モーツァルトも、ウィーン式ヴィオローネのために作品を残しました。1791年、オペラ《魔笛》の初演で仕事を共にしたピシェルベルガーと歌手フランツ・クサーヴァー・ゲルルのために作曲した《コントラバス・オブリガート付き演奏会用アリア『この麗しい御手と瞳のために 』Kv.612》です。19世紀になると廃れてしまうウィーン式ヴィオローネにとっては、「最晩年」の作品と言えるでしょう。

 失われてしまったハイドンの《コントラバス協奏曲》からモーツァルトの《バスアリア》までの30年足らずの間に書かれた協奏曲は、非常に多くあります。まずカール・ディッタース・フォン・ディッタースドルフが2曲(どちらも1766-67年頃)、ピフル(ピッヒル)が2曲(1768年/1769年)、アントン・ツィンマーマンが1曲(1778-80年頃)、ディッタースドルフと同い年であり彼の弟子でもあるヨハン・バプティスト・ヴァンハルが1曲(1786-89年頃)、フランツ・アントン・ホフマイスターが3曲(1786-1789年頃)、カール・コハウトが1曲、そして名手シュペルガーは実に18曲もの協奏曲を書きました。

 他にも、#05 ナチュラルホルンの宇宙技芸『ホルンと弦楽のディヴェルティメント』で演奏するミヒャエル・ハイドンの《オブリガート・ヴィオラと協奏的ヴィオローネ、第2ホルンのためのディヴェルティメント ニ長調 MH.173》をはじめとして、バスの領域に留まらないでヴィオローネが活躍する室内楽作品は数多くあります。


 ウィーン調弦(ウィーン式ヴィオローネ)が盛んだった1760年代から90年代は、500年近くあるコントラバスの歴史のなかで、最大の黄金期だったと言えるかもしれませんね。



#04 ミヒャエル・ハイドンの後任者『番外編!ディッタースドルフの弦楽作品』は無事に終演し、12月18日よりアーカイブ配信をご覧いただくことができます。是非ご利用ください。

↓↓公演ダイジェスト動画↓↓

・チケットのご購入

・配信期間

2021年12月18日(土)0:00~12月31日(金)23:59

*視聴券の販売は12月24日(金)23:59まで







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