これは「#03 酒に溺れた男の音楽劇『ヴェルグルのバス弾き』」に出演するバス歌手の渡辺祐介さんへのインタビューを再構成したものです。
(11月5日、調布市文化会館たづくり第1/第2音楽練習室にて)
布施砂丘彦(以下、布施)「皆さん、こんにちは。ミヒャエル・ハイドン・プロジェクト主宰の布施砂丘彦です。本日は、バス歌手の渡辺祐介さんにインタビューさせていただきます。よろしくお願いいたします。」
渡辺祐介さん(以下、渡辺)「よろしくお願いします。」
東京藝術大学音楽学部卒業、同大学院修了。多田羅迪夫氏に師事。
オランダのデン・ハーグ王立音楽院にて、ペーター・コーイ、マイケル・チャンス、ジル・フェルドマン、リタ・ダムスの諸氏のもとで研鑽を積む。2002年4月より鈴木雅明氏の主宰するバッハ・コレギウム・ジャパンのメンバー。
現在マヨラ・カナームス東京音楽監督、東京ムジーククライス常任指揮者、東京クローバークラブ指揮者、オルケストル・アヴァン=ギャルド音楽監督。古楽アンサンブルCantus Ebrius主宰、Coro Libero Classicoメンバー。
布施「渡辺祐介さんはオランダのデン・ハーグ音楽院の古楽科声楽専攻のご出身です。古楽科の声楽専攻は、例えば日本の音楽大学では「バロック声楽」という名前が付けられていることもあります。この「バロック声楽」という言葉は、一般にあまり馴染みのない言葉でしょう。「バロックヴァイオリン」や「バロックオーボエ」と言ったら、バロック時代に使われていた楽器や、それと同じスタイルで作られたいわゆるコピーの楽器を示します。ところが、バロック声楽と言っても、歌手の方々が自らの声帯を「バロック声帯」に変えるわけではありませんね。バロック声楽、あるいは声楽におけるピリオドについて、お考えをお聞かせいただけないでしょうか。」
渡辺「何をもってピリオドとするか、非常に難しいですね。便宜上、一般的には、いわゆるバロックとかそれ以前のものをピリオド、あるいはその頃に使われた楽器をピリオド楽器と呼ばれはしておりますけれども、もともとピリオドとは「ある期間」という意味でしょう。言ってみれば、いわゆるモダン楽器を使って演奏する近現代の音楽も、それだってピリオドです。モダン/ピリオドって分けるのは、そもそもナンセンスというか、モダン楽器ですら、その考え方で言えばピリオド楽器なわけです。
では、翻って声楽の場合はどうかというと、さきほど仰った通り、歌にはモダンも古楽器もない、楽器(声帯)はひとつしかないですから、そういう意味では、楽器のように「はいモダンです、はい古楽です」とは言えないわけです。
ところが、現在では、歌手の専門性というのが増してきているのですね。これは、僕が勝手に思うに、古楽器のオーケストラから発生したことでしょう。たとえば、ピリオド楽器の音色の中に、ゴリゴリのヴェルディ歌いやゴリゴリのワーグナー歌いがいたとしたら、そのひとは浮いてしまいますよね。だから、ピリオド楽器の音色により合う声のひとが、ピリオド楽器のオーケストラと共演する。これが、いわゆる古楽復興の時代から盛んになりました。そういった歌手の棲み分けというのが昔よりはもっと強く出てきていると思うのですよね。例えば、自分の声がオペラに向いているのか、オペラのなかでも、ヴェルディに向いているのか、ロッシーニに向いているのか、あるいはモーツァルトに向いているのか、古楽向きの声の中でも、フランスものに合っているのか、ドイツものに合っているのか。それは多分に楽器からの要請が強いと僕は思っていて、そういう意味では、「歌手のピリオド化」というのがはっきりしているんです。
昔は歌手だったら(今でもある程度はそうなんですけれど)昔のものから現代のものまで、うん百年のレパートリを一応カバーしていなければいけない、それが歌手としての教養であり、それが実力であると言われてきました。それは絶対に間違えではありませんが、今やピリオドオーケストラ、モダンのオーケストラ、それぞれの音色に合う声のひとが選ばれるようになっています。この「ピリオド化」というのが、歌の中でもはっきりしてきていると思うのですよね。
歌におけるピリオドとはどういうことかと聞かれたら、この専門性がひとそれぞれよりはっきりしてきているということだ、と僕は勝手に思っています。」
布施「ありがとうございました。」
渡辺祐介さんにご出演いただいた #03 酒に溺れた男の音楽劇 は無事に終演し、12月6日よりアーカイブ配信をご覧いただくことができます。是非ご利用ください。
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・配信期間
2021年12月6日 (月) ~2021年12月19日 (日)
*視聴券の販売は12月12日(日)23:59まで
〜 公演の様子 〜
写真:岡田直己
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