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執筆者の写真布施砂丘彦

連載「古に現を見ゆ」(5)フロム/トゥー・ザルツブルク

 昨日より #02 モーツァルトとの友情 のオンデマンド配信が始まりました。レクチャーも付いたお得な配信チケット、ぜひご利用ください。

 特にミヒャエル・ハイドンのデュオは、布施が知るかぎり、ピリオド楽器による演奏の録音が(CDやYouTubeなどを含めて)ありません。そういった意味でも、非常に貴重なものとなっていると思います。


 さて、今回の公演のタイトルにも掲げた「ミヒャエル・ハイドンとモーツァルトとの友情」について、布施が当日配布したプログラムから文章を掲載いたします。


 ヨハン・ミヒャエル・ハイドン(1737-1806)は、あの有名なヨーゼフ・ハイドンの5歳下の弟である。ザルツブルクで活躍したことから、「ザルツブルクのハイドン」とも呼ばれる。
 兄と同じくオーストリアの小さな村ローラウで生まれたミヒャエル・ハイドンは、やはり兄と同じく幼少期にウィーンのシュテファン大聖堂の聖歌隊メンバーとなった。そして弱冠20歳でグロースヴァルダイン(現ルーマニアのオラデア)の司教宮廷に就職し、3年後には宮廷楽長に就任した。更に3年後の1763年、26歳の誕生日の前に、ザルツブルク大司教宮廷の宮廷楽師長に就任。そして43年後に死ぬまで、(革命戦争に巻き込まれて自らの家さえフランスの兵士によって占拠されても)ミヒャエル・ハイドンはザルツブルクに住み続けるのである。

 さて、ザルツブルクの音楽家といえばヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)だ。1756年1月27日、モーツァルトはザルツブルクで生まれた。モーツァルトが幼い頃から才能を発揮したことは有名だろう。父レオポルトは、子の才能を伸ばすため、また、子の名声を広めるために、ふたりでヨーロッパ中へ演奏旅行に出かけた。
 こうした旅のあいまにモーツァルトが13歳という若さでザルツブルク宮廷の宮廷楽師長(コンツェルトマイスター)に任命されたことは、あまり知られていないかもしれない。このとき同じ地位にいたのが、6年前にグロースヴァルダインの宮廷からやってきた32歳のミヒャエル・ハイドン(と、すでに69歳の作曲家フェルディナント・ザイドゥル)であった。
 幼いモーツァルトはミヒャエル・ハイドンから大きな影響を受けた。あるときはミヒャエル・ハイドンの作品を自作に転用し、あるときはミヒャエル・ハイドンの新作と同じ編成で作品を書いた。1771年に彼らの雇い主であるザルツブルク大司教のシュラッテンバッハが亡くなって追悼ミサが執り行われると、ミヒャエル・ハイドンが急遽作曲した《レクイエム》ハ短調MH.155が演奏された。モーツァルト父子も大司教の死の前日にはイタリア旅行から戻っていたようだ。このレクイエムは、モーツァルトの遺作となる《レクイエム》ニ短調K.626に大きな影響を与えたと言われている。
 シュラッテンバッハの後任にはヒエロニュムス・コロレド伯爵が選ばれた。当初は良好だったモーツァルト父子と新しい大司教の関係は、コロレドのイタリア人びいきなどを理由に、徐々に悪化していく。ザルツブルク宮廷に不満を抱くようになったモーツァルトは、コロレド大司教とも決裂し、父レオポルトにも反抗した。そして1781年、遂にウィーン定住することを決めたのである。
 翌年にはコンスタンツェ・ウェーバーと結婚。ちなみにモーツァルトと結婚したコンスタンツェはあの有名な作曲家カール・マリア・フォン・ウェーバー(1786-1826)のいとこであり、カール・マリア・フォン・ウェーバーは後にミヒャエル・ハイドンの弟子となる。
 初めての子供も授かったモーツァルトは、1783年、(子供は保母に預けて)妻とともにザルツブルクへ帰郷した。久しぶりに会う父に新妻を紹介し、妻には自らの故郷を紹介したのだろう。

 久しぶりの故郷では他にも会う人がいた。ミヒャエル・ハイドンだ。モーツァルトはかつての同僚で友人であったミヒャエル・ハイドンの作品には常に興味を持っていて、この帰郷の直前にも、父レオポルトにミヒャエル・ハイドン作品の楽譜を送るよう頼んでいる。
 さて、ザルツブルクの宮廷および大聖堂オルガニストに就任したミヒャエル・ハイドンは、コロレド大司教から、全部で6曲のヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲の作曲を頼まれていた。そして、そのうち4曲《ソナタ》MH.335-338はすでに完成していた。
 しかし、モーツァルトとの再会を果たしたとき、ミヒャエル・ハイドンは病に伏していた。病によって、残りの2曲を作曲することができない。

 そこでモーツァルトは、困っている友人のために、残りの2曲の作曲を自ら買って出た。そうして出来上がったのが、《二重奏曲》K.423-424である。
 全6曲として出来上がった二重奏曲は、すべてミヒャエル・ハイドンによる作品として無事にコロレド大司教に献上された。自らもヴァイオリン演奏を行う大司教は、この作品に大いに満足したそうだ。ふたりの共作であったという事実が明るみになったのは彼らの死後で、ミヒャエル・ハイドンの友人らが書いた『伝記的素描』(1808年)による。

 こうして出来上がった「彼らの友情の証」とも言える、全6曲の二重奏曲。残念ながら、現在演奏されるのはほとんどモーツァルトの2作だけだ。今回はこの6作品をどうしても一度に演奏したいと考え、このようなプログラムにした。この大変な仕事を引き受けてくれた演奏家の2人には、心より感謝申し上げる。

※二重奏曲誕生のストーリーに関しては、上述の『伝記的素描』に書いてあることですが、近年では異論もあります。

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・昼公演+レクチャー=1,800円

・夜公演+レクチャー=1,800円

・昼夜セット+レクチャー=2,800円


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